人間の起源ドキュメンタリーを見て

 NHKスペシャル「ヒューマン・なぜ人間になれたのか(1)アフリカからの旅立ち・分かち合う心を携えて」を見ました。立ったり座ったりの、完全視聴ではないので、記憶が正確ではないところもあります。
 極めて断片的ですが、記憶に残ったことを書いてみます。


 20万年前のヒトの化石からみると、子どもを産むための女性の体の構造が変わっていない。赤ちゃんが出てくる通り道が狭く、ヒトの誕生には他の人間の協力を必要とする。
 人間は、子どもを育てるために協力を必要とするようになった。チンパンジーは自分で産み、自分で育てる。親子の愛情豊かなサルも、他人の(他猿の)子供は決して自分の家族の中に入れない。人間は違う。人間だけが協力し合わねば生きていかれない仕組みになっている。
 火山噴火で地球環境に激変があった時、助けあった人々が生き残れた。知らない人同士が助け合って世界に広がった、という仮説。
 助け合いを検証する実験が同じ条件を再現して世界各地で行われた。知らない人にお金をどのくらいあげるか、という実験。街頭を歩いていた不特定の人に声をかけ、カーテンで外部を遮断した車の中で、与えられた金額を、自分の取り分と他人への分に配分してもらう。(この時、実験者である学者がどういう説明をしたのかの部分は見ていなかったので分かりません)。
 世界で共通する結果が出た。この実験に分かち合うこころが如実に出る。日本人は44対56だったという。どちらの数字が自分の分であったか……忘れてしまいましたが。
 アメリカでかつて、施設に収容された幼児の精神的病気があった。ある施設で37パーセントの幼児が、栄養が満たされているにもかかわらず死んでしまった。コミュニケーションの欠如が原因だった。相手をしてくれる人もない放置された、こころの交流がない環境の結果だった。


 考えさせられるドキュメンタリーでした。
 1歳(娘の子)と2歳(長男の子)の孫を思い出しました。滅多に会う機会はありません。時々会うと、2人とも拒否の行動をとります。泣いたり、顔をそむけてこちらを見ようとしない。これは1、2歳の幼児に見られる普通のことだという。娘の育児ブログを見ていると、知っている人が訪ねてきた時に、部屋の隅っこに逃げ込んで泣く姿が時々出てきます。しかし30分から1時間すると、何事も無かったように、にこやかに相手をしてくれます。
 幼児の発達心理では当たり前のことなのでしょうが、そういうことを全く知らない私には、これらの孫の行動がとても興味深いことでした。幼児は、家族や他の人とのこころの行き来を通じて、「協力」「分かち合い」という人間の人間たる由縁を獲得していくのかと、テレビを見て改めて思いました。
 私たちはよく「育児の重視」「育児環境の充実」といい、金銭的補助や制度的整備等のことを言いますが、それがどんな理解と根拠に基づくものなのかと、時々、心もとなく思っていました。しかし、分かち合う心や協力の精神がコミュニケーションで育つという、動物的本能として備わったものであるとすれば、その出発時としての幼児の環境への理解が深まります。
 成長に応じてそのコミュニケーションの質と量も変わっていくのでしょうが、教育はそのことへの理解がなければ、成り立たないと言えます。「協力」「分かち合い」が人間の本能、本源的才能であるとすれば、強権や拒否の傾向の強い仕組みよりも、「参加」や「話し合い」の仕組みの方がより創造的・生産的ではないだろうかと思います。
 この辺の漠とした感想を表現することは難しいが、無理を承知で少し書いてみたら、やはり何を言っているのかわからん文章になってしまった。