テレビのフリップ

 テレビの開発が韓国に後れをとっていることが新聞やTVで報じられています。ことは数のつまり規模の競争のことで、技術の開発のことではありません。
 しかし、いつもテレビを見ていて思うことがあります。
 テレビにそうそうしっかりと向き合って見るわけではありません。面白そうなドキュメンタリーや自然観察ものとニュースと解説は、関心が赴くままの“ながら見”です。
 テレビには時間という制約があります。長々と長広舌を振るうわけにはいかない。最近では、それを補うために盛んにフリップと称される図やイラストが映し出されます。
 ニュース解説や国会中継でよく使われますが、視聴者の“パッと見”の一瞬の理解を手助けするためであるから、内容はなかなかよく整理されています。国会中継の質問議員は、発言を際立たせる手段として恐らくこの制作にそうとうの時間とエネルギーを注いでいるはずです。
 ニュース解説では一般視聴者が相手ですから、究極の分かりやすさと簡潔さと見栄えが要求されます。時々、これを見ていて、なるほどと思ってフリップのコピーがほしくなります。
 そこで思うのです。いつも。ほしいときにフリップをFAXなりデジタルなりで形態は何であれ、取り出せたらと。もちろん著作権等の問題はありますが、映像用にあれほど編集されたコンテンツが、毎日作成され、瞬時の出番を終えればごみ箱行きです。もったいない!
 昔、アメリカ在住の評論家の本を何冊か編集したことがありましたが、彼は、ダイアグラムの重要性と価値をいつも強調し、1枚の図にいかに有用な情報が濃縮されているかを口にしていました。私も同感で、特に最近のように法律や社会制度が日常の中の話題として普通になってくると、フリップに示される図やイラストの価値が高くなります。
 ある日、4チャンだったかどこか忘れましたが、この意見を書いてメールをしましたが、もちろん無視されました。テレビの技術開発は、こういうヒューマンインターフェイスに目を向けたらどうか。もう色がどうのこうの、厚みが何ミリとかは結構ですといいたい。
 そこで気になったフリップはデジカメです。手元のデジカメでパッと撮る。テレビの周辺の置物とか壁とかカーテンが移っていれば、これは風景の一部です。著作権は問題ないと思うのですが、なるほどと思った図や「あっ」「おっ」「えーっ」と私自身が瞬間的に反応した場面は撮ります。
 ビデオは新聞記事の切り抜きと同じ、後で見ませんし、余計な情報に接するのは時間の無駄となります。自分の感覚が反応した一瞬でいいのです。