復興への願いと自然の力

 昨夜は1階と2階にごろ寝。とは言っても全員にふとんがありました。シャワーもありました。女性たちは母屋に宿泊。快適に寝られました。
 私は朝5時半に起床、散歩に出かけました。高台にあるO氏宅から市街地に下っていく道を歩いてすぐ、津波で破壊された家がそのまま残っている所に出ました。ここまで来たのか、と改めて驚いてしまいます。はるか先に海が見えます。
 何軒かある家の破壊の状況からし津波は線のところまで来ています。向こう側の山地は線の所くらいまで来たと思われます。自然はこのような破壊を繰り返してきました。人間の生活の範囲が広がるにつれ、この破壊に直面することになったのです。

 O氏は自宅を作る際、平地とこの高台と2か所選んだのだが、結局、チリ地震の経験を思ってこの地に建てたとのこと。それでも、すぐ足下、50メートル位の所まで来ました。
 昨日、地元の人から聞きました。災害放送で、最初は6メートルの津波がくるとあったので、それが頭に残ってしまったようです。その後、堤防を越えたという放送があったが、それでも海岸から離れた地域では、まさかここまで来るとは思わなかったと。まつりの会場の小学校のすぐ下まで津波はきました。
 高台にはリンゴ園がたくさんありました。市街地周辺には低い山が連なり、一部には住宅開発が既に進んでいるようです。巨大な堤防を築いて旧市街地を復興するのか、それとも高台に新市街をつくるのか、難しい選択です。陸前高田の人々のこれからの困難を思わざるを得ません。

 印象に残った話が一つあります。津波は巨大な力で海の底をさらいながら進んでくるそうです。そして戻る時には今度は地上をさらいながらいくそうです。それによって何が起こるのか。海の底は自然の新陳代謝が行われ、漁場としての復活の条件が整うそうです。そういえば、テレビで、漁はできるという漁師の言葉を聞いて、以外に早い漁場の復活を感じたことがありました。これも自然の威力なのかな、と思いました。
 仮設住宅の建築がいま進みつつあります。避難所から移る時に日用品の需要があるので、まだまだ特定の支援物資は必要と岩田さんは言います。今回、現地の事情を自分の目で見て、その支援に貢献しようと思いました。
 9時にO氏宅を出発。岩田さんは現地に残り、気仙沼方面に行くとのこと。彼の活躍とエネルギーのお陰で、私も多くのことを知りました。各地から来て協力して祭りを実行したみなさん、ご苦労様でした。何かの機会での再開を期待し分かれました。
 そしてO氏御夫妻。数十人ものボランティアの宿泊を引き受け、心づくしの持て成しをして下さいました。ありがとうございました。出発の際、門の所に立って、ありがとうございました、と大きな声で叫び見送ってくれました。