陸高米崎復興応援祭――であいまつり――

 6時に一関インターに集結、そこから車9台を連ねて陸前高田市に向かいました。
 山々を超え市街に入ると、国道沿いにがれきやクシャクシャになった車の残骸が目に付き始めました。海から数キロも入った地点でこの惨状です。いかに大きな津波であったか。狭い筒状の地域で津波の先端が勢いを増したことが分かります。
 市内に入ると、建築物が何もない一望の先に海が見えます。言葉も出ない光景です。がれきは相当片付けが済んで広い平地が出現しています。車の残骸、鉄等の金属類、土と雑多なゴミが混ざったがれき、大きくこの3つに分けて集積されているようです。
 市内中心部には大きな池ができていました。地盤沈下で排水不良の所でしょうか。

 岩田さんが運転する自家用トラック。地理がよく分かっているので先導役です。

 昨日、陸前高田の1本残った松から新芽が芽吹いた、というテレビ放映がありました。国道から一般車両は入れないようですが、松がある海岸まで、工事用車両が走る跡を走って何とか辿りつきました。日本百景に選ばれた高田松原の7万本あった松の木のうち残った1本です。確かに「希望の松」です。

 海岸のホテルの前に残されていたランドセル。教科書がたくさん入っていました。これを背負っていた子は無事だったのだろうか。

 会場の米崎小学校。校舎前に自衛隊のテントが5張り。約200人が入居する仮設住宅

 静岡グループの4トントラック。ビンゴ大会の商品を満載してきました。跳ね上げ式の側壁を上げると、反対側の壁に「陸高米崎復興応援祭」「であいまつり」の看板が貼ってあります。
 その前が秩父太鼓の演奏する場所で、3時から始まったまつりの開会式の後、第1回目の演奏が始まりました。メンバーに聞いてみたところ、世界、日本各地に出かけて演奏活動を行っているという。すごい集団ですが、今回の演奏は岩田さんの友人が依頼して実現しました。太鼓を小さいころから聞いて育った横瀬町議のW氏の演奏評が面白かった。W氏の妹さんの夫が陸前高田出身で、4人を亡くし2人が行方不明とのことです。

 じりじりと暑い日差しの日でした。朝8時半からの出店の準備が済んでしまうと開会の3時まで暫しの時間。校内の緑陰で読みました。『原発社会からの離脱――自然エネルギーと共同体自治に向けて』。

 仮設や近隣の人たちが集まってきました。焼きそば、焼き鳥、フランク、モツ煮、とうもろこし、じゃがバター、かき氷。それに生ビールほかのアルコールと飲み物。これらの出店がテント5張りに設置されました。全部無料です。テントをはじめ道具類は一切現地調達なしで、岩田さんが小鹿野からトラックに積んで運んできました。
 私はずっとビールサーバーの係りでした。炭酸ガスボンベとビールタンクから来る管を箱に入れた氷で冷やし、サーバーの計量器で泡を調節しながら注ぐ本格的なものです。思い出しました。学生時代のアルバイトを。私はレストランカウンターでこのビールサーバーの操作とコーヒー抽出を1年くらいアルバイトでやりました。その時、炭酸ガスの調節と味のチェックで毎日ビールを飲み、すっかりビール好きになってしまいました。暑さとこれだけのつまみが揃えば、ビールのリクエストが多いのは当然。嬉しい大忙しでした。


 ビンゴ大会で最後の景品が当たって散会したのが7時過ぎ。それから片付けを終えたて向かったのが近くに住んでいるO氏の自宅。空いている1棟を宿泊に提供して下さるのです。嬉しい限りです。O氏宅庭で打ち上げのバーベキューです。ビールで乾杯し持ち込みの食材と奥様の手料理を食べて成功を喜びあいました。