村長の涙

 福島原発による汚染された地域への一時帰宅のニュースがありました。
 立入禁止の20キロ圏への一時帰宅が認められ、一軒で一人の限定で汚染地とされている居住地域に向かいました。中継地点で白い防護服を身にまとい、線量計を持っての帰宅です。
 2時間の範囲内で何を持ち帰りどう過ごすのか、地震津波から辿ったそれぞれの家庭の事情を背負いながら向かいました。
 震災で亡くなった母親といっしょに映っている写真を最優先の探しものとした家族。
 牛の世話だけが目的の農家。一頭も姿が見えなくても、帰ってきて食べることを信じて馬草を集める。
 防護服を着て帰ってきた主を見て、警戒して逃げ隠れてしまうネコ。
 車窓の新緑を眺めながら、バスの中で老夫人がふと漏らした言葉。
 「こんなにいい所なのになぁ」。
 原発とは無縁なのに、目に見えない攻撃、侵入者によって瓦解してしまった小さな村が福島原発の周囲にはいくつかあります。
 標高の低い阿武隈山地が海岸線に向かって降りていくこの地帯に、私は昔から何となくいいイメージを持っていました。地図の等高線や地理を眺めながら想像を豊かにしました。一度も行ったことがないだけに、いい所だろうなぁと思ってきました。テレビに出る風景を見ると、想像通りだと思いました。
 うねうねと続く低い山並み、その山の間に広がる田んぼ、山裾の丘陵地はさまざまな家畜の放牧と採草。山からしみ出る水を集めて流れるきれいな小川。自然や農耕のさまざまな日本の神様が住んでいそうな地域のようです。
 「こういう状況に誰がしたんだ」
 「木の芽が噴く自然があるのに、人がいないなんてどうしてだ」
 村長はこの不条理、理不尽に涙ぐみます。
 このTVを見ていた人のほとんどは、村長氏と同じ悲しみを持ったのではないでしょうか。
 今こそ脱原発への力強い「政治的意思」が必要なのです。