原発を見直すことについて

 この本は、私が20年前に編集した本ですが、いまは絶版で刊行した出版社も現在はありません。福島第一原発の事故が起こったので、探し出して久しぶりに眺めてみました。
 タイトルは『シャドウの恐怖――核燃料再処理工場で汚染された人々の運命』。著者は、ギーン。マクソーリというイギリスの反原発運動者です。
 この本は、セラフィールドという、世界で最も原子力関係施設が集中している地域で起こった放射能汚染の実態を書いたもので、原著は1990年に、翻訳は1991年に刊行されました。
 核燃料再処理工場は、原子炉で燃やした核燃料の中から未反応のウランや生成したプルトニウムを化学処理を施して取り出す作業を行います。取り出されたウランとプルトニウムは、再び燃料として原子炉で燃やされます。これから分かるように、原子力利用体系の中でのコストの経済性を求めるための施設です。プルトニウムは、核兵器の原料となるので秘密に作る国がないか核拡散防止条約で監視されています。
 この再処理は、格納容器で遮蔽された原子炉と異なり、裸の核物質を広範囲に扱い、処理に伴って高レベルの放射性廃液が出るため、放射線に晒される危険が高く、地球上最も危険で汚い廃棄物を排出する作業とされています。
 『シャドウの恐怖』は、この工場で起こった火災による放射線被ばくで白血病やがん発生の危険性が高まったことについて、多くの人へのインタビューを行って書かれました。著者は学者ではありませんが、この事故の年に生まれた人間として、放射能への一般の人の恐怖を代弁していると思われます。
 そして、原子力産業に関わるいろいろな立場の人の話から浮かび上がってくるのは、「雇用創出を武器にして地域に君臨し、利潤第一で安全管理や健康モニターを怠ってきた良心なき企業の姿である。被ばくした労働者や住民のみならず子供や孫までに、白血病やガンの危険を残し、次の世代が住めないような自然破壊をもたらす原子力技術を利用することは果たして許されるか、という問いである」(訳者の解説より)。
 このことは、今の福島第一原発の事故に全く同じ問題として当てはまります。昨日、20キロ圏封鎖が発表されました。自分がこの地域に住んでいたら、と思うと、住民の苦悩は計り知れません。
 一方で、この封鎖の是非について、また放射線の安全性について、膨大な議論が行われています。「全く問題ない」から「非常に危険」まで専門家の意見が分かれています。
 昨日見たUチューブでは、低放射線の効用について世界一と言われる東大の学者が、危険はない、むしろ人間の健康にいい影響を与える、政府・マスコミは誤っている、と絶叫していました。データを客観的に駆使しての安全性の議論も盛んですが、誰が正確であるかは所詮分かりません。
 安全か否かの議論に関わらず、根拠があろうとなかろうと、日本で生産されるあらゆるものに対して、世界から放射線の危険の疑いがかけられています。これが現実です。
 『シャドウの恐怖』で書かれた核燃料再処理工場は、日本でも現在、青森県六ケ所村に建設中です。全国の原発から出る使用済み核燃料を自国で処理するためです。日本の原発が建設されて以来現在も、日本の使用済み核燃料は、この本の舞台であるセラフィールドに運ばれ再処理され、再び輸入されています。
 六ケ所村の再処理工場は、これを日本国内で行おうというものです。しかし、1983年から建設が行われていますが、完成までの予定は18回延期され、さらに延期が予定されているようです。建設費は2011年2月現在で2兆1930億円とのこと(ウイキペディアより)。
 これだけの予算を自然エネルギーの再生にかければよかった、これからでも遅くはない、と思うのは私だけではないと思います。