山口百恵、二度目の偶然

 何かずいぶん思わせぶりなタイトルですが、私が偶然、2回、NHKが深夜放送した山口百恵の最後のコンサートを見た、というだけのことです。2回とも午前2時ごろの時間だったと記憶しています。
 NHKもこんな時間に再放送をずいぶんやっているのです。それも、なかなかいい番組の再放送が多く、夜更かしをしてパソコンをやっていても、暫し振り返って点けっ放しのテレビを眺めることがよくあります。


 作曲家が当時を語っていました。
「プレイバック」についての宇崎竜堂の話。曲の発注があって一晩で作った。17歳の百恵自らが宇崎に曲を作ってほしい、との希望だった。
 谷村信二の作曲「いい日旅立ち」。アイドルからシンガーへの変貌をイメージ。
 さだまさし作曲「秋桜(こすもす)」は、結婚する時の気持ちを歌った曲。百恵は歌ってしっくり来ないという気持ちを伝えるが、さだまさしは、この曲の心が分かるときがくると。そして結婚式当日、出席できなかったさだまさしが泊まっているホテルに百恵から「歌の心が分かりました」との伝言。
 8年間の歌手生活に終止符を打ち、「さりげなく生きていきます」と21歳で引退。日本武道館での最後のコンサートは何回見てもいい。
 山口百恵の結婚式が赤坂の霊南坂教会で行われた頃、私の勤務先はあの近くにありました。2時か3時頃とる遅い昼休みの散歩が、仕事の気疲れを癒してくれた記憶があります。坂を上がった教会の前を通って急坂(急階段だった?)を下りると風呂屋がある六本木の古い下町がありました。そこを抜けて左方向の坂を上がると、スペイン大使館からホテルオークラの前に出ます。その途中の喫茶店でコーヒー。
 霊南坂教会とその界隈の屋敷町から坂下の六本木の古いまちの雰囲気は、表通りの喧騒から想像できないほど静かでした。あの頃まで東京の中心部のあちこちに残っていた、何かほっとする「古い昭和」を体現する街であったような気がします。
 今日の新聞に、森ビルの2ページ見開きの大広告が載っていました。左右手をいっぱいに広げた間に広がる文章は、私が散歩した「古い昭和」を壊して平成の新しいまち、アークヒルズをつくったデベロッパーの企業家精神の物語でした。
 脈絡のない記憶の連鎖でした。