登山家栗城史多の「一歩を超える勇気」

 4日のNHKで放映された若い登山家の登頂記録には驚きました。母親のところのTVで見ました。いつもは、こたつに入って横になり7時のニュースを見ていると寝入ってしまうのですが、その時は違いました。
 「7サミット 世界7大陸の最高峰へ 若き登山家の全記録……」とタイトルが出たら、「ン」と思って思わず身体を起こし、9時近くの番組終了まで見てしまいました。

 海外高峰を単独で登ることだけでも驚嘆することですが、さらに驚くことには無酸素で登ることです。7大陸最高峰のうち6大陸を単独で登ってきて、7大陸の最後のエベレストに単独無酸素登山。今回の放映は、日本人ではまだ成功した人いないというエベレスト単独無酸素登攀の記録です。
 さらに驚くことに、ビデオカメラを携行し、登山に伴う自身の状況の変化や肉声をインターネットで同時中継するとのこと。
 栗城史多という登山家は、1982年北海道生まれの27歳。私はこの人について全く知りませんでした。予備知識が無かったから余計びっくりしたのかもしれません。
 単独、無酸素という死と隣り合わせの“無謀”が一歩一歩実行されていく過程が、彼の断片的肉声によって同時進行で伝わってくると、もう沈黙して見入るしかありません。
 危険を共有する意識が生まれ、時空を超えて彼と一心同体的になっていく。同時進行の渦中となった視聴者から、励ましや心情を吐露する FAXやメールがNHKに届きます。見ている人は、成功にしろ失敗にしろ、彼が下山してきたときには、すっかり若い登山家のとりこになってしまうようです。
 これは、もうすさまじい肉体弾丸メディアです。生か死か、登るか下るか、この単純な圧倒的事実の前に、どんな言葉も意味を失っていきます。唯一対抗できる言葉は?
 「どうして、あんなバカなことをするのか」
 「死ぬためにいくようなことをどうしてやるんだろうか」
 放映中、母は幾度となくこの言葉を発しました。この素朴な疑問に対して、私は適当に答えておいたが、本当は、若い登山家本人に答えてもらうのが一番いい。何と答えるだろうか。
 人によっては、この危険と無謀をバーチャルに共有することによって、自分自身に貼り付いていた塵芥がはがれ、内に籠っていた精神を解き放つことができたようです。うつや自閉からの脱出です。
 
 『一歩を超える勇気』。ニートだった若者はどうして登山家になったのか、初めての著書の出版と、一歩を踏み出すための心を説く講演が企業に団体に大好評とのこと。若者の心に生まれた小さな冒険への挑戦はたった5年でこうなりました。メディアの力ももちろんありますが、誰にでも出来ない“一歩”だったからでしょう。
 われわれオジサンは、もう、一歩を超えることもないのかな? 
 「、」をとれば「もう一歩」となるのだが。小さな「もう一歩」は沢山あるようなので、それを気張らずに気楽に越えていくのも面白いかもしれない。いや、大きな一歩だってあるかもしれない。誰にでも。