出た! タイトル画像が……

 出た! 出たぞ! ようやく出た。
 ブログのタイトル画像です。
 タイトル画像は、結局、昨年1年間変えずに、いや変えることが出来ずに、同じものを使ってきました。かなり飽きてきて、変えようと常々思っていましたが、作成の技術が完全でなくそのままにしてきました。
 暮に久しぶりに次男が帰ってきたのをつかまえて、しっかり教えてもらって作成にかかりました。ウェッブデザイナーをやっている次男には、こんなことは朝飯前のことのようです。私の「よし、わかった」の一言を聞き、忙しいと言いながら自分の棲み家に戻っていきました。
 ところが作成した画像がいくらやってもブログに反映しない。タイトル画像の変更を、新年に合わせて済ませなくてはどうも落ち着きません。年賀状を書かなければと気にしながらも、TVの紅白を背中にひたすら操作をしたが成功せず、とうとうあきらめました。
 その後、何回か読込みを試みましたが変わらず、今夜、試みにやってみたらスポンと出ました。今までの苦労は何だったのか。ともかくも反映されたので、即、この記事を書き始めました。
 この写真は、昨年撮ったものの中で一番気に入っています。見ているとジーンときてしまう。
 あの時思いました。こんなことが起こるんだと。こんな実りを謳歌することが実現したんだと。
 例年、じゅうたんの如く席巻したヒエが一本も見えない。
 田んぼの中の「生きとし生けるもの」すべてが、「実らせよう、実らせよう」と唱和しているのを感じました。
 しばらく、このタイトル画像でいきます。
 『野良のかぜ 街のかぜ』のタイトルで始めたブログですが、途中で『野良のかぜ』と『街のかぜ』に分けました。書くテーマによって太い流れを出せればいいかな、と思ったのですが、とてもそんな余裕はありませんでした。欲張らずに行けばいい、とまた最初のタイトルに戻しました。
 サブタイトルに自分の名前を出したことについては、特に反省すべきあるいは後悔すべき点はありません。匿名に隠れず自分の意見や感想を書くのが一つの目的でもあったし、それによって自分の生きてきた何がしかのものが出ればいいし、出なくても結構くらいに思っていましたから。
 年賀状をいただいて分かったのですが、何人かの方が読んで下さっていました。読まれているのか、ということは、ほとんど気にしませんでした。コメントが入りませんから読まれてはいないだろうな、とは思っていました。他のブログの沢山のコメントを見ると、書く人は張り合いがあるだろうなぁ、という程度の感じです。とにかく、カウンターも設定していないので、分かりません。それでいいと思っています。
 書いた日数は144日。ずいぶん頑張ったつもりですが、1年の半分も書いていませんでした。農作業をやって一杯やって、何だかんだと出かけてとなると、こんなものかなと思います。書いてみたい下書き項目は増えるばかりですが、気楽に書いて、しかも無責任ではなく、確認、調査すべきことは楽しみながら行って書ける範囲を広げる――これを基本に置きたい。
 ブログは個メディアですが、その大量の流通が既存マスメディアを脅かしているのは世界共通の現象です。しかしメディアといえるものすら無い地域にはどう影響するのか、しないのか、地域と小メディアがこれからの次代の課題です。
 新しいネットメディアとしてツイッターに身体性の可能性を感じる、などと藤原新也氏が新年早々の新聞で述べていましたが、この人らしくない表現だな、とその時感じました。ネットが個に狭小化されていけばいくほど、マーケッティングや大衆操作の道具になるでしょう。つぶやきやら、ためいきやら、独り言やら、いつどこで何をしているかやらを知りたいのは、恋人だけでいいはず。
 首相のツイッターなど無用と思っていたら、若い登山家の無酸素高峰登山のネットライブの“独り言、叫び”には驚きました。無謀と可能性の現実とその人の背景が一瞬にして結合するすごさ、とても書きものが及ぶところではない衝撃がありました。
 自分のブログにかこつけて、最近思ったことを少し書きだしてしまいました。またにします。