金環蝕

 21日は金環日食、最近はこういうようです。私の頭の中は「金環蝕」。そして金環蝕といえば、お天道様よりまず連想が走ってしまうのが、石川達三の小説です。、1966(昭和41)年に発表され、山本薩夫監督によって映画化されたのが1975(昭和50)年。
 昭和41年といえば私が大学に入った翌年です。戦後の自民党興隆の金と人のエネルギーを描いた作品で、これ以上の汚職の内幕を暴いた作品はないというほどの評価があります。確執する権力が金と汚職を媒介につぶしあう様相は、政治資金の規制や政治の変質でいまは懐かしの世界です。
 しかし中央政界の大ボスの口利きで裏ルートの金が入るという話しは、最近でも話題になりました。金環蝕の時代にその手段となったのがダム建設で、一方の主役であったのが電源開発の総裁でした。最近話題になったのもダム建設で、金環蝕以来の伝統的手法が未だに生きているのかと驚きました。
 ダム建設による電力供給(当時は電源開発と言った)が主流であった昭和39年の金環蝕の舞台から、その後電力開発は原発に移っていきました。そして、批判を許さない同質組織を転がしながら肥大化した結果が福島原発事故でした。その源流をたどれば金環蝕に行き着くように思います。

 さてお天道様のほうです。天体現象に関心がある妻は、予告情報をあれこれ詮索しながら早々と、例の観測用黒メガネを購入していました。しかしTV等で、この黒メガネの品質がよくないと眼を痛めるということが言われ、もう一つ買ってくるよう頼まれ池袋のデパートで購入しました。
 当日、朝からそわそわし始め、暗くなってきたら外に出て見るよう叫んでいました。私も室内から黒眼鏡をかけて見た所、意外に小さな金環でした。
 太陽と言えば、私には黒点の方がなじみがある。中学生のころ、理科教室の天体望遠鏡を持ち出して黒点観測をやったことを覚えています。太陽に望遠鏡を向けて紙に写る黒点の数と位置を毎日観測するのです。この時の黒い点は結構強く記憶が焼き付いており、その後の時々の関心に結びついた。
 私が中学生の頃、1960年代はかつてないほど黒点活動が活発になった時で、その後衰え最近までにもう一度ピークがあったようです。