美空ひばりとスーザン・ボイル

 いつだったか、どこだったか、朝のながらTVだったか、母親のところのTVだったか記憶に定かではないが、「スーザン・ボイルが紅白に出場」と流れ、空港に到着した画面が流れました。
 えっ、あのスーザン・ボイルが紅白に出場!とビックリしました。そして、今年の紅白は見るぞ、と。NHKもやるなぁ、と思いました。
 毎年、後ろのTVで紅白をがなりたてても首がそっちに回らない人間を引き戻し、関心ない人にチャンネルを合わせさせる――NHKの視聴率大戦略です。今年はスーザンの時だけ首を回そう。
 これもいつだったか、比較的最近ですが、朝出かけようとして椅子から立とうとしたら、後ろのテレビからひばりの声が聞こえてきました。美空ひばりです。
 思わず振り返ると、昭和20年代の歌を歌っていました。暫し見ていたらまた椅子に座り、椅子の向きも変えてテレビと向き合うことになってしまいました。そして、用事は後でいいや、となってしまい、結局、昼頃まで見てしまいました。
 やはり歌姫はスーザン・ボイルより美空ひばりです。月並みな表現ですが、、いつ聞いても心に染み渡り、春夏秋冬、日本の気候風土の中で生き、年を重ねてきた自身の人生に思いが至ります。若い頃は、流行歌なんてと思って、シャンソンばかり聞いていた時もありました。まぁ、それも自分を変えるあるいは変えたい、という何かを求める遍歴の中の―風景であったと思います。
 彼女の歌をデビュー当時から編年で辿り、それに個人生活の出来事と人間としての成長、さらに時代の背景を重ねながら番組は進みました。時々の事件や世情・出来事にふと当時の記憶がよみがえります。言葉もなく歌にじっと聞き入るだけ。
 盆暮れの時期をはじめ、年に何回か季節の節目にこのスタイルの番組が放送されるようなので、美空ひばりは日本人の生活のサイクルに自然に組み入れられているのかもしれません。里帰りした人は田舎の家族と聞くことで自分の存在位置を確かめるのかもしれません。
 中元、歳暮は廃れても、いや日本人の自然感覚と生活風習が失われていくほど、美空ひばりの歌に重ねた回顧は人気を保つのでしょう。しかし、それもいつまでか。ひばりが心の中に刷り込まれていない世代はどうなのでしょうか。