岩田和幸さん(改訂)

 岩田さんの記事を書いていたら途中で出てしまいました。続き、というか最初の部分を書きます。一度読んだ方はもう一度お読みになってください。
 14日昼頃岩田和幸さんから電話がありました。「いまさいたま市です。帰る途中寄るから」とのこと。岩田さんは現在の小鹿野町、もとの両神村の住人で川と山が美しい秩父山中に住んでいます。
 私と彼はなぜ知り合いなのか。岩田さんは、平成15年6月より続いている「日高まちづくりフォーラム」(旧名:まちづくりと合併を考える日高市民会議)のメンバーであり、まちづくりの志を同じくする“同志”(岩田さんはそう思っていないかもしれないがこちらは勝手にそう思っているのです)なのです。岩田さんの詳しい紹介は後でします。
 さて、岩田さんと高麗駅前で待ち合わせ。到着した車に同乗者がいました。背の高い眉目秀麗な若い青年でした。岩田さん曰く、韓国から国際交流で来日し、埼玉県の紹介でホームステイに招待した方だという。日本語を上手に話します。
 駅前にチャンスンがあるこの土地の由来を説明し、朝鮮といかに関係が深いかを強調すると、彼は嬉しそうに微笑みました。そして、私がやっている農業の方法は、韓国の趙漢圭(チョウハンギュ)さんが日本の3つの農業理論を融合して創始したものであること、また、軽トラの中にあった趙漢圭さんの著書を見せて、韓国の農業関係者で知らない人はいない有名な人であることを話すと、知らなかったので帰ってから調べてみるとのこと。
 彼は思いがけず、韓国との関連を、土地に関しても私自身に関してもたっぷりと聞かされたので、驚くと同時にこの出会いを喜んでいました。
 チャンスンを背景に記念写真です。「岩田さんはブログに出ても関係ないよね」と私が聞くと「ああ、全然だ」と。「彼はいいのかな」。「ええ、私もOKです」
 岩田さん、来週には、バングラディッシュの青年をホームステイに招くという。相変わらずの行動力と決断に感心してしまいます。



 岩田さんと私
 春とは思えない陽光を浴びながら高麗駅前で一しきり楽しく話しました。朝鮮との関係といえば高麗神社です。高麗神社の由来を話したら、岩田さん、せっかくだから寄っていこうと、駅前を後にしました。
 さて岩田さんのこと、改めて紹介。以下の文章は、私が平成18年頃岩田さんの後援会報に書いたものです。一級建築士自民党員、オンブズマンに参加して公金の使途を監視する運動に参加している岩田さんの行動力には勇気づけられることが多い。
 最近は、彼も忙しくなって「日高まちづくりフォーラム」の勉強会にはたまに参加するだけになったが、何かあると、おーい! と呼びかける。そうするとすぐ返事がくる。奥武蔵と秩父の山を越えて親しくさせていただいているのは嬉しいことです。
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誠と動の人、岩田和幸さん

             まちづくりと合併を考える日高市民会議代表 横山 秀男


 平成16年秋頃だったと思いますが、両神村の岩田さんという人から電話がありました。さぁて、両神村からとは何だろうか、両神神流川に釣りに行くとき通り過ぎるだけで何の縁もないが……と一瞬思いました。しかも岩田さんは村会議員だという。
 岩田さんの用件は、私が何人かの仲間といっしょにやっていた勉強会である「合併を考える日高市民会議」(当時は“まちづくり”という言葉はまだ冠していなかった)に会員として参加したい、ということだったのです。
 これは驚いた。同じ埼玉県だが、奥武蔵の山々を越え荒川を越えた所の方が、日高市の一市民組織であるわが市民会議に参加したいとおっしゃる。私は大感激し大歓迎ですと答え、岩田さんは以来、現在まで熱心な会員として勉強を共にしています。
 岩田さんが電話してこられたきっかけは、「住民と自治」(自治体問題研究所編、自治体研究社発行)という雑誌に掲載された「合併を考える日高市民会議」の活動紹介記事でした。
 その頃、国が音頭をとっての自治体合併を、県も各市町村もいっしょになって強力に推進していました。私たちの市民会議は、合併は住民にこといいことばかりと国が言う理屈に対して本当かな、合併路線に乗っかる前にまず情報公開に基づいた正確な知識と判断を持たないと後で大変なことになる、として勉強・講演会などの活動を始めて1年ほど経っていました。岩田さんも村議として両神村の合併問題に直面していて、私たちの方針に感じるところがあって参加を求めてこられたのです。
 岩田さんは、議員としての行動力は言うに及びませんが、大変な勉強家でした。「住民と自治」を購読されていることから分かるように、国、県をはじめ全国の自治体の動向に幅広くアンテナを立てて、両神の将来にとってどうしたらいいのか真剣に模索していました。全国の頑張っている自立自治体が集まる「小さくても輝く自治体フォーラム」にも何と第1回から毎回出席しているという(今年で7回目、特別開催も入れると9回)。そこで収集した成功事例を両神に導入できるかどうか研究・検討し、また両神を紹介し全国の議員・自治体関係者と交流することで大きな視野を築かれていました。
 勉強だけではない、新潟地震の時は山古志支援に単身ボランティアとして駆けつけ、汗を流しながら市民の安全と福祉の意味を肌で感じ取ったのです。岩田さんのこういうまちづくりへの行動力、探求精神は一朝一夕で成ったものではないのです。何と20年前から秩父9市町村の議会傍聴を続けてきたという。この持続力と情熱には“すごい”というしかありません。日高市にこういう議員がいないことは残念至極、スカウトしたい位です。
 その岩田さんがこの間の合併後の選挙で落選してしまいました。「見る目がないなぁ、両神小鹿野の町民は。何でだ」と思ってしまいました。岩田さんに、これだけの大きなパワーを持って活動しているのにそれをキチンと報告してこなかったからだ、と言ったら彼もそれは良く分かっていました。今、大きな文字の見やすい『活動報告』を出すようになりました。1ヶ月1回ぐらい出せるよう頑張れと言いたいです。
 最近、岩田さんは、旧両神村補助金問題を取り上げています。この問題で、岩田さんは“公”についての考え方と行政のあり方を問うています。岩田さんの誠実さと正義感が、この公(おおやけ)の意義を追求する姿勢に出ています。
 両神から日高まで国道299の1時間強の道のり。岩田さんは、市民会議の勉強会に車を飛ばしてやってきます。岩田さんの実践と活躍の話を聞くのは私たちも楽しみです。これからの時代のまちづくりは、規制緩和地方分権など国や県の動向をキチンと把握し、地域との関連を見極める幅広い視野が必要になってきました。岩田さんの「誠と動」の姿勢が小鹿野のまちづくりにピッタリ焦点を結ぶ時が早晩くるでしょう。まちづくりの志を同じくする私たちの応援の声も、奥武蔵の山を越えてきっと届くはずです。